マネテック法律税務事務所

コラム

新しい事業のつくり方 第7回 オペレーション1 コンピュータやAIの進化とどう向き合えばいいのか

1. はじめに

 今回から、強い事業を作るための3つのインフラのうち、2つ目のオペレーションについて説明をしていきたいと思います。今回は、総論的に、システムとオペレーションの関係、具体的には、何をシステムによって行い、何を人手によって行うべきであるのかという点について考えていきたいと思います。

 AI(人工知能)やRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)の進化に加えて、少子高齢化に伴う労働人口の減少等により、現在、何をシステムによって行い、何を人手によって行うべきであるのかという問題は、ビジネスにおける重要なテーマになりつつあると考えられます。

 さらに、この問題は、筆者も含めてビジネスに関わる全ての人間(経営者も例外ではありません)が、どのように働き、どのような価値を残して、対価とやりがいを獲得していくのかという現代に生きるビジネスパーソンにとっての働き方の問題とも直結しています。

 そこで、今回の記事では、事業をどう構築していくのかという観点に加えて、皆さんが、今後、どのように働いて、どのような価値を発揮していくべきであるのかという観点でも読んで頂けると、さらに面白いものになると思います。

 なお、念のためですが、筆者からお話する内容は、あくまでも個人としての意見・見解であり、過去に所属した組織の見解やノウハウを記載するものではありません。また、内容としても、必ずしも網羅的で完全性を有するものではありません。

2. システム化に際しての制約

 まず、前提として、システムとオペレーションの関係は、「表裏一体のもの」と考えることができます。即ち、RPA(ロボティク・プロセス・オートメーション)も含めて、「サービス」に関する全ての業務プロセスがシステム化(自動化)されていれば、極論を言うと、人手は必要ありません。

 他方で、AIが進化してはいるものの、現在のコンピューターシステムに関する技術では、少なくとも、最初から全ての業務プロセスをシステム化(自動化)することは難しいため、一連の業務プロセスについて、どこをシステム化して、どこを人手で行うのか、ということを考えていく必要があります。

 その際に、我が国では、米国等と比べて、システムエンジニアの多くが、事業会社ではなくITベンダー等に勤務しているといわれており(2025年7月20日付日本経済新聞電子版)、自社で大規模なシステム開発のためのリソース(システムエンジニア等)を常時保有している企業は、多くはありません。

 このため、システム開発を行うためには、程度の差こそあれ、外部にシステム開発を委託して開発を実施してもらう必要があります。したがって、システム開発を行うための「コスト」が、システム化を行う際の重要な考慮要素となります。

 さらに、システム開発を行うためには、システムに必要な機能や仕様等のシステムの要件を定義する必要があり、この要件定義が不十分なままシステム開発を進めると、完成したシステムが役には立たないものになってしまいます。このため、「システム要件の明確化」が、システム化を行う際の重要な考慮要素となります。

 最近では、システム開発の手法として、アジャイル開発なども浸透してきており、ウォーターフォールモデルのように「要件定義」のプロセスが独立して設けられていないケースも見受けられます。しかしながら、システム開発のプロセスが変わったとしても、システム開発において何らかのプロセスを通じて「システム要件の明確化」を行うことが重要である点には、変わりはないものと考えられます。

3. コンピュータの本質

 ここで、少し話題を変えて、そもそも、システムを構成するコンピュータとは、一体何であるのか、即ち、コンピュータの本質とは何かという点を考えていきたいと思います。

 筆者は、これを「計算機」であると考えています。刑法などの法律の規定では、少し古めかしい表現ですが、コンピュータのことを「電子計算機」と表現しています。

 「計算機」であるということの意味は、もともとコンピュータは、軍事目的や科学目的の複雑な計算を行うために開発されたものということもありますが、その基本的な機能として、ユーザーによる「インプット」をもとに、プログラムが演算による「処理」を行い、結果を「アウトプット」として出力するものであることにあります。

 このような、「インプット」、「処理」、「アウトプット」という機能は、非常に単純な例を挙げれば、ユーザーが文書作成ソフトを立ち上げてキーボードで「あ」という文字を打つと、パソコンが処理を行い、ディスプレイに「あ」という文字を表示するというものになります。もっと複雑なものでは、生成AIのツールに対して、資料とプロンプト(AIに対して指示や質問を行うための入力)を入力すると、生成AIのプログラムが処理を行い、結果を文字や画像という形でディスプレイに出力するというものになります。

 もちろん、文書作成ソフトでのキーボードによる操作と生成AIツールでは、プログラムによる「処理」の複雑さは、各段に異なります。しかしながら、プログラムによる「処理」が複雑になることで、コンピュータが本来持っている基本的な性質が変わる訳ではありません。

 以上のような「インプット」、プログラムによる「処理」、「アウトプット」というコンピュータの本質的な機能を考慮すると、コンピュータの持つ特徴として、以下の点を挙げることができるのではないかと考えられます。

【コンピュータの機能から導かれるその特徴】

  • ①パターン化された事項の「処理」が得意であり、イレギュラーな事項・突発的な事項をミスなく「処理」するには、より複雑で高度なプログラムが必要となる。
  • ②コンピュータによる「処理」は、プログラムによる演算であり、人間の「感情」のようなメカニズムは本来備わっていない。また、「アウトプット」の方法は、ディスプレイや音声を通じての内容の表示が基本的なものとなる。
  • ③プログラムによる「処理」を行う前提として、まず、「インプット」を行う内容を決めなければならない。

4. システム化せずに人手で行うことが望ましい事項

 上記では、コンピュータの本質的な機能とその特徴を見てきましたが、これらを踏まえると、コンピュータにとっての「強い事項」(得意な事項)と「弱い事項」(不得意な事項)が見えてくることになります。そして、コンピュータにとっての「弱い事項」こそが、システム化せずに人手で行うことが望ましい事項につながってくると考えられます。

【コンピュータの特徴から人手で行うことが望ましい事項】

  • ①パターン化し難いイレギュラー・突発的な対応が必要な事項
  • ②コミュニケーションを用いて人間の感情を取り扱わなければならない事項
  • ③インプットすべき内容やその程度などインプットの前提条件が決まっていない事項

 なお、上記の事項については、コンピュータが「弱い」(得意ではない)といって、必ずしも人が「強い」(得意である)という訳ではない点には注意が必要となります。イレギュラー・突発的な事項への対応が得意か否かは、個人差が大きく、またコミュニケーションが得意か否かも、個人差が大きい事項といえます。

 このように考えると、筆者も含めて現代に生きるビジネスパーソンが、コンピュータに代替されない人材になるためには、イレギュラー・突発的な事項に対して柔軟な対応ができ、コミュニケーションに長けて他人の感情を上手くコントロールすることが可能で、既存の前提条件に囚われずにゼロベースで物事を考えていくことができなければならないことになります。もちろん、一人の人間が全てを行うことができる必要はないのですが、それでも、このような人材になるのは、なかなか大変なことかと思います。

 以下、順を追って説明をしていきます。

(1) パターン化し難いイレギュラー・突発的な対応が必要な事項

 この点については、上述した「コスト」と「システム要件の明確化」が、深く関係してくることになります。即ち、イレギュラー・突発的な事項に対してコンピュータによってミスのない対応を行おうとすると、より複雑なプログラムが必要となり、その分、開発のための「コスト」が必要となります。

 さらに、そもそも、イレギュラー・突発的な事項に対して「ミスのない対応」を行うというのは、どういうことなのかを予め明確に定義しておかなければなりません。例えば、企業で事故や不祥事が起きた際に、経営陣が現場に対して、「適切な対応を行うように」との指示を出すことがありますが、これでは「ミスのない対応を行うように」と同じで、何も指示を出していないことになります。「適切な」「ミスのない」というのは、あくまでも「評価」であって、何をもって「適切」とするのか、あるいは「ミスがない」とするのかをさらに定義しなければなりません。

 同様に、どのような事態が起きた場合に、どのように処理を行って、アウトプットとして何を求めるのか、という点を予め明確にしておくことが、ここでいう「システム要件の明確化」になります。そして、イレギュラー・突発的な事項とは、ある程度の確率や周期で生じる予測可能な事態から、いつ起きるのか何が起きるのか予測不能な事態まで、様々なケースが存在しています。

 ここで、少し余談となりますが、パターン化と「コスト」や「要件の明確化」との関係について、時計(機械式時計)を例に挙げて説明したいと思います。

 我々の生活に身近なもので、最もパターン化されているものもとして、「時間」と「暦」が挙げられます。これらは、地球の自転と公転を把握するために、人が人為的に生み出したものですが、「時間」については、古代エジプトに由来する慣習的な取り決めで、1日が24時間、1時間は60分となっているようです。「暦」については、現在、世界中で採用されているグレゴリオ暦によって、1年が365日と定められています。

 そして、このような時間と暦を正確に確認するための発明が時計です。時計は、ちょうど産業革命の発展と同時期、18世紀のヨーロッパにおいて飛躍的に発達していくことになり、機械式時計(懐中時計)として、人の手元で時間を確認することが可能となりました。

 さらに、機械式時計においては、時間だけでなく、月、日にちといった暦についても手元で確認をすることができる機構が作られることになり、この機構は、現在では「アニュアルカレンダー」という名称で呼ばれています。

 ただ、18世紀における機械式時計の所有者は、主に王侯貴族であり、これらの人々は時間や日付に追われて「労働」を行っていた訳ではないので、あくまでも、これらの機能は、「趣味」(時間や暦を手元で確認して楽しむ)のためのものであったと考えられます。

 他方で、地球の公転と暦には、微妙な差があり、この差を調整するために、グレゴリオ暦では、ご存じのとおり、4年に1回、閏年として2月に1日分(2月29日)を追加する必要が出てきます。

 このような閏年による調整は、48カ月に1度の周期で生じる暦における「イレギュラーな事項」といえますが、機械式時計においては、18世紀から19世紀にかけて、スイスで生まれフランスで活躍したアブラアン・ルイ・ブレゲが、特殊なカム(歯車のような部品)を利用して、自動的に修正される機構を生み出しています。

 このような閏年を自動で調整する機構は、現代では、「パーペチュアルカレンダー」と呼ばれており、機械式時計の3大機構の1つに挙げられています。もともと機械式時計は、その複雑さゆえ、熟練した職人による手作業での技術が必要となり、現代においても高額なものですが、「パーペチュアルカレンダー」は、さらに複雑な機構を必要としているため、これを搭載した時計を18世紀当時に製作させるには、多額の費用を要したものと考えられます。

 実際に、時計職人であるブレゲの得意先は、フランスのブルボン王朝の王妃であるマリー・アントワネット等、またその後はナポレオン皇帝とその親族等であったといわれています。

 ただ、話はこれで終わりません。グレゴリオ暦では、暦と地球の公転を一致させるために、4年に1回ではなく、「400年間」に「97回」の閏年を設けるものとされています。即ち、「西暦の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年(365日)とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年(366日)とする。」というルールになっています。

 このルールでいうと、1800年、1900年、2100年、2200年、2300年などは、閏年ではなく、通常と同じ365日の年になります。即ち、グレゴリオ暦においては、1年を365日とするのが原則的(レギュラー)な処理ということになりますが、その例外(イレギュラー)として、西暦が4で割り切れる年は、366日とする処理を行うことになります。さらに、例外の例外(イレギュラーのイレギュラー)として、西暦が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、原則と同じ365日とする処理を行うという形でパターン化することが可能です。

 なお、現代の機械式時計(腕時計)においては、上記の例外(4年に1回)だけでなく、例外の例外(100年又は200年に1回)の処理についても自動で行う「セキュラー・パーペチュアルカレンダー」という機構が発明されています。ただ、その機構を腕時計の中に収めるには、単純に歯車等の部品を追加すればいいというものではなく、極めて複雑な動きが必要となるため、特に海外の有名ブランドにおいて、その機構を搭載した機械式時計は、非常に高額な商品となっています。

 やや余談が長くなりましたが、機械式時計の話からは、ビジネスにおいて2つの教訓を得ることが可能です。

 1つは、イレギュラーな事態を処理するための「コスト」についてです。イレギュラーな処理を行うためには、それだけ複雑な処理のための機構(プログラム)が必要となり、その分だけ余計に「コスト」がかかることになります。確かに、機械式時計は、アナログな金属部品の話であり、デジタル技術を用いたコンピュータとは異なります。

 しかし、デジタル技術であっても、複雑なプログラムを作成し、バグ・エラー(ミス)が発生しないのか何度もテストを行うことは、相当程度の「コスト」を要することになります。

 機械式時計において、時間や暦の動きを完全に自動化して再現することができるという点は、その所有者に、悠久の時の流れを実感させるロマンを抱かせるものではありますが、ことビジネスの場面に限れば、システム化は、費用対効果の面から考えていく必要があり、結果として、4年に1回の割合で生じるイレギュラーな対応であれば、「閏年の調整は、人手でやればよい」という結論に至るのが合理的と考えられます。

 もう1つが、仕組化(システム化)に際しての「要件の明確化」についてです。

 グレゴリオ暦における閏年の調整は、例外の処理(4で割り切れる年は閏年とする)についても、例外の例外の処理(100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とする)についても、それらは、4年に1回、又は100年若しくは200年に1回の周期で、必ず発生するものであり、発生する周期や確率は、完全に予測することが可能といえます。さらに、それが発生した場合に、行うべき処理の内容(1年を366日にする、又は1年を365日とする)も明確です。

 したがって、グレゴリオ暦における閏年の調整は、イレギュラーな処理ではあるものの、仕組化(システム化)に際して、機構(プログラム)に必要な要件を定義することは容易であるといえます。他方で、ビジネスにおいて発生する、イレギュラー・突発的な事項というのは、人間の活動や自然現象に由来するケースも多いため、どのような事項が、どのような周期で、どのような確率で発生し、それに対して、どのような処理を行うべきであるのかという点を見通すことが難しい場合が多く、仕組化のための要件を明確に定義すること自体が難しいケースが多いと考えられます。

(2) コミュニケーションを用いて人間の感情を取り扱わなければならない事項

 コンピュータの特徴を踏まえて、人手によって行った方が望ましい事項の2つ目は、「感情」と「コミュニケーション」が関係する事項です。

 最近は、企業のカスタマーサポートにおいても、AIを用いたチャットボットが導入されつつあり、ユーザーがトラブルを抱えて企業のホームページ等にアクセスすると、まずは、チャットボットへの入力を余儀なくされるというケースも増えてきています。

 皆さんは、サービスの利用に関してトラブルを抱え、イライラした状態で、チャットボットに入力を行い、いかにも杓子定規な回答が返ってきて、さらにイライラを増幅させたという経験をお持ちではないでしょうか。

 この点は、もちろん、カスタマーサポートにおけるチャットボットツールが発展途上のものであるという問題もありますが、もっと根源的な問題として、プログラムによる演算、即ち「論理」(ロジック)のみで動くコンピュータと「感情」という「論理」とは異なる性質を基に行動する人との根本的なメカニズムの違いが存在していると考えられます。

 即ち、コンピュータは、あくまでも演算によって動くものであり、一見すると「感情」を示しているような動きをするものであっても、疑似的に「感情」を示しているような動きをさせているに過ぎません。

 さらに、人の感情は、他の動物のものとは異なり、もっと複雑・多様であり、予測不能な動きをすることになります。そして、論理的に考えると正しい回答であったとしても、人は、必ずしも、それに納得をして、その通りに動いてくれるものでもありません。人は、必ずしも、合理的な判断をする訳ではなく、時として、非合理的な行動をとる事態さえ生じます。

 以上のように、コンピュータが出した「論理的に正しい答え」に対して、人は「感情」のレベルで納得感や共感を持つことができる訳ではなく、逆に、「論理的に正しい答え」に対して反感を感じるケースすら生じることになります。

 筆者は、職業柄、これまでコンプライアンスに関する問題、民事の紛争、各種の犯罪(刑事事件等)を取り扱う機会が多くありましたが、つくづく人は(筆者自身も含めて)、「論理」ではなく「感情」で動く生き物であることを実感しています。

 さらに、コンピュータにはない特徴として、人は、極めて多様なコミュニケーションの手段を持ち合わせており、時として、コミュニケーションの手段を用いて、相手の感情をコントロールすることが可能な点が挙げられます。

 即ち、人は、アウトプットの内容を、言語、文字、絵によって相手に伝えるだけではなく、顔の表情、声色、身振り・手振り、相手に対する相槌、沈黙(沈黙も重要なコミュニケーションの手段の一つです)等、あらゆる手段を使って、自己の感情とともにアウトプットの内容を表現することができ、これによって、相手に対して、喜怒哀楽を含めて様々な感情(納得、共感、喜び、怒り、恐怖、悲しみ等)を抱かせることが可能といえます。

 もちろん、自分の思わぬ発言が相手を怒らせてしまうこともあり、コミュニケーションによって相手の感情を100%コントロールすることは難しいのですが、熟練した営業マンのように、経験を積み重ねることで、相手の感情をコントロールする技術が上手くなっていくということは十分に考えられます。

 以上をまとめると、人は、コンピュータとは異なり「論理」ではなく「感情」で動く生き物であり、さらにアウトプットの内容を表示する以外にも多様なコミュニケーション手段を持ち合わせているため、アウトプットの内容とともに、そのようなコミュニケーション手段を駆使して自己の感情を表現することで、相手の感情をコントロールすることが可能なケースが存在しています。

 そのような特徴を踏まえると、コミュニケーションによって人の感情を取り扱うような場面、即ち、クレーム対応(ただし、初動のためにツールを使うことを否定するものではありません)、社外のステークホルダーとの何らかの交渉や折衝(大口の商談等も含む)、従業員のモチベーションの維持や各種の社内調整等の施策については、システム化するよりも人手で行うことが望ましいと考えられます。

 なお、2020年からのコロナ禍以降、ビジネスにおいても、オンライン会議が広く導入されてきており、重要な社内外での重要な打ち合わせや会議が、オンラインで行われるケースも多くなってきています。

 この点、オンラインを通じてのコミュニケーションでは、アウトプットの内容は変わらないとしても、人が本来用いることができるコミュニケーションの手段(顔の表情、声色、身振り・手振り、相手に対する相槌、沈黙等)のうちの幾つかのものが制限を受けるという点に特徴があるものと考えられます。

 そして、この特徴を考慮に入れると、アウトプットの内容だけでなく、多様なコミュニケーションの手段を使って、相手方の感情をコントロールしなければならない場面(例えば、採用面接、契約交渉、人事面談、クレームへの謝罪、相手に対する説得や説教等)については、コミュニケーションの効果を最大限発揮するために、オンラインではなく、対面で行うことが望ましいと考えられます。

 他方で、相手方の感情のコントロールは不要であり、アウトプットの内容のみが問題となる場面(例えば、企業法務の法律相談、会計・税務に関する相談、技術的な内容が問題となる研修等)については、対面で行ったとしても、効果に大差はないと考えられるため、オンラインで行うことが効率的であると考えられます。

(3) インプットすべき内容やその程度などインプットの前提条件が決まっていない事項

 最後に、コンピュータの特徴を踏まえて、人手によって行った方が望ましい事項の3つ目として、インプットの前提条件が決まっていない事項について説明します。

 これまでお話してきたとおり、コンピュータでは、ユーザーが「インプット」した内容をもとに、プログラムが演算による「処理」を行い、「アウトプット」を出力することになります。例えば、生成AIツールを使用する際にも、まずはユーザーが資料やプロンプトを入力することが必要となります。

 少し唐突ですが、上記のプロセスは、ある問題が、適法であるのか違法であるのかを回答する法律相談の構造と似ている部分があります。即ち、法律相談では、問題となる行為や取り組み内容等をもとに、前提となる事実関係を確定し、その事実関係を法律の規定や判例等に当てはめることで、適法なのか違法なのかという答えを導き出すことになります。

 ただし、法律相談においては、問題はそう簡単ではありません。そもそも、前提となる事実関係自体があやふやであり、また紛争が生じている場合には、紛争の相手方の認識している事実関係とは異なるケース(事実関係に争いがある)も数多く存在しています。

 実際の法律相談においては、法人からの相談であれ、個人からの相談であれ、最初から、法律判断に必要な事実関係について網羅的に整理された形で説明を受けるケースは多くはなく、コミュニケーションを取りながら、こちらからも色々と質問をしていく中で、隠れていた事実を導き出して、事実を裏付ける証拠や確度を確認し、また事実と事実の間のつながりや因果関係を明らかにして、出来事の全体像を把握していくことになります。

 このように、法律相談においてインプットすべき事実関係が整理されていないからといって、何も相談者の方の能力が劣っている訳ではありません。むしろ、インプットの整理が難しい「状況」であるからこそ、相談(カウンセリング)が必要であるともいえます。

 即ち、ある法律問題が発生したときに、前提となる事実関係について網羅的に情報を集め、それを整理することができていれば、100%とまでは言いませんが、半分(50%)以上のところまでは、どうすべきであるかという答えは出ていると考えられます。

 もちろん、前提となる事実関係が整理されただけでは、法律をどう解釈して当てはめるのかという問題は残されていますが、世の中で生じる紛争やトラブルは、そのような法律の解釈の問題以上に複雑であり、さらに、相談者には紛争やトラブルの当事者としての「感情」も抱えているため、「客観的」に事実関係を整理することが難しいケースが多いといえます。したがって、解決すべき問題に関する事実関係を「客観的」に整理して、法律判断を行うためにインプットすべき情報を整理していくことが、重要であるといえます。

 以上は、法律相談におけるインプットの問題ですが、これは、コンピュータを使用する場合、例えば、生成AIツールを使って何らかの問題を解決する場合にも当てはまるものと考えられます。

 具体的には、ある契約を締結しようと考えているときに、生成AIツールに対して、契約書のドラフトと自社にとって最も有利な条項が記載されている「モデル契約書」をインプットして、契約書のドラフトを、自社にとって最も有利な形に修正してほしいというアウトプットの作成を指示することにします。このように単に自社にとって「有利な契約書を作る」という目的であれば、インプットすべき内容は明確であるといえます。

 しかしながら、ビジネスの現場において考慮しなければならない事項は、もっと複雑多岐に渡っています。即ち、単に目の前の相手方と契約する契約書の内容を自社に少しでも有利にすればよいという訳ではなく、相手方との交渉力の違いから、そもそもどこまで有利にすることが可能なのかという問題があります。

 さらに、目の前の相手方が自社にとっての「顧客」なのであれば、自社と顧客との契約だけで取引が完結するものではなく、自社にとっての「仕入先」等の商流全体を見て、取引に関するリスクがどうなっているのかを判断していく必要があります。

 これに加えて、ビジネスにおいては、契約書に表れていない様々な考慮要素が存在しています。例えば、確かに目の前の契約書は、自社にとって不利な内容になっているが、この取引を通じて顧客に価値を提供できれば、次にもっと大きな取引につながる相当程度の可能性が存在する場合もあります。まさに「損して得取れ」というべき状況です。

 また、例えば、契約書においては、自社に情報の漏えい等が起きれば、巨額の損害賠償責任を負う旨の条項が設けられているものの、自社のシステムでは強固なセキュリティが確保されており、そのような問題が生じるリスクは、非常に低い場合もあります。

 以上のような諸事情を考慮して、「今回の取引において最善の契約書を作る」という目的であれば、まず、インプットすべき情報は何であり、それをどの程度考慮すべきであるのかを決定する必要が出てきます。

 このようなインプットをすべき前提条件の決定は、コンピュータではなく、人が行うことが望ましい作業であると考えられます。もちろん、生成AIツールは、ユーザー(人)との対話によって、アウトプットの質を高めていく側面を有するため、インプットすべき前提条件の整理においてツールとしてコンピュータを利用すること有用であると考えられます。

 しかしながら、インプットすべき内容として、何を重視すべきであるのかという点は、人(個人や組織体の構成員)が、その問題に関して何を重視しているのかという価値観と直結する問題であるといえます。即ち、なるべくリスクを抑えて取引を行いたいのか、ある程度リスクを取ってでもリターンを追求したいのかは、個人や組織体の価値観に基づいて意思決定を行うべきであり、それをコンピュータに丸投げすべきではありません。

 また、インプットすべき内容に関する情報を集める場合、生成AIツールなどのコンピュータが集めてくることができるのは、デジタル化されていて、データベースやインターネット空間(インターネットに接続されているどこかのサーバー)に存在している情報に過ぎません。それでは、情報の内容や性質に、大きな偏りがあり、さらに、特にインターネット空間に存在している情報だけでは、問題となる事案において実際に何が起きているかを考慮することができません。

 したがって、情報収取という点でも、人が、その事案において何が起きているのかという情報を集めて、それをインプットすべき前提条件として、どの程度考慮するのかを判断していく必要があると考えられます。

5. まとめ

 今回は、やや抽象的な内容となってしまいましたが、昨今、AIの性能が非常に速いスピードで高まっていく中で、何をコンピュータに任せて、何を人手によって行うべきであるのかという点を考えてきました。

 そのことは、コンピュータが進化していく中で、筆者を含めて、ビジネスに関わる全ての人材が、何を行えば価値を残していくことができ、仕事を通じて対価ややりがいを得ていくことができるのかという答えにも、直結していると考えられます。

 筆者自身は、コンピュータは、あくまでも「ツール」であるというスタンスです。その「ツール」を使って、どのような価値を作り出すのかという点が重要であると思っています。